Pさん
はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」
インターネットで小説を書いては発表するサイト?メルマガ?そういうコミュニティに所属していた。多分2000年前後だったと思う。
小説家を目指したり、小説を書くのが趣味の人が集まっていた。
掲示板(!!)でリレー小説を書いたり、管理人に提出した小説をみんなで読んだり、結構楽しかった。
管理人の人格と作品の設定等に問題があったが(宇宙空間の話で「宇宙船にロープでぶら下がり、弧を描いて宇宙船の上に飛び乗った」とあったときには全員からツッコミを食らっていた)、それ以外の人たちはとてもいい人たちで(笑)、中にはそこで知り合って結婚した人もいた。
その中に、名前を忘れてしまったが、Aさんという女性がいた。
Aさんは、たぶん、20代だった我々の親世代だったようで、何らかの病を患っていた。
ロックバンドが好きでLUNA SEAとか好きだと言っていた。病気だからライブとかには行けず、自宅で小さな音でCDをかけて楽しんでいると書いていた。
管理人の抱えるさまざまな問題で、そのコミュニティは霧散した。
当時は、それぞれが自分のホームぺージや掲示板を持っており、散り散りになったものの、それぞれの掲示板で交流を続けた。
Pさんという青年がいた。ペンネームが「P」だった。
たぶん、私より少し年下で、20代前半だったと思う。
私は20代中盤ぐらいで、件の結婚した2人は30前後だったんだと思う。
他にもいたが、ちょっと忘れた。
リレー小説でいいかんじになったそのカップルは、女性の方がベトナムだったか東南アジアに住んでいて、その小説がきっかけで帰国して会って、そのまま結婚したというのだった。そう告白されてびっくりした。
Pさんは、たまたま仕事で北海道にいた。
Aさんは、北海道在住だった。
ある日、Aさんの娘さんという人が掲示板に書き込んでいた。
母が亡くなりました、と。
一度も会った事がなかったけれど、すごく色んなことを話し、色んな悩みなんかをきいてもらったりしていたので、すごくショックだった。
そして図々しくも、Pさんに、Aさんのお悔みに行ってくれと頼んだのだ。
私は北海道のでかさを知らなかった訳ではなかったが、PさんもAさんにはいろいろ聞いてもらっていたらしく、電車を乗り継いでお悔みに行ってくれた。
Aさんは、かわいらしい素敵な女性だったと言っていた。
そのコミュニティは結局、そのAさんが求心力だったのだ。
管理人氏を失ってもどうにかなっていたのはAさんのおかげだった。
いわゆる「みんなのおかあさん」みたいな存在だった。
私は、Pさんにお悔みを頼んだ後ろめたさから、あまり積極的に交流をしなくなった。
みんなも自然に、掲示板に小説を載せる事をしなくなった。
時代も、掲示板からブログ文化に移り変わる頃だった。
個人掲示板はどんどん閉鎖されて行った。
ブログは、小説を載せる事には使わず、こんなふうに日記のような、備忘録のような、そんなことしか書かなくなった。
文章を紡ぎだす事から、音楽活動に力を入れていくようになり、私は創作の文章を書くのを辞めてしまった。
Pさん、今どうしているだろう。
今、話が出来るなら、あの時は申し訳なかったと謝りたい。
今でもみんな元気だろうか。
あの結婚した2人はどうなっただろうか。
質問するといちいちキレぎみの長文をくれる管理人は元気にやっているだろうか。
同性愛を崇拝するあまり「何で私は同性愛者じゃないのだろう!!」とか言い始めた彼女は元気だろうか。
インターネットでしか交流しなかったけれど、写真すら取り交わしもしなかったけれど、世紀末から新世紀になったあの頃に、虚無じゃない、無から有を生み出す仲間がいた。