アヤノっちの田舎暮らしBlog

田舎で暮らすアヤノっちの琴線に触れたガジェット、小物、お題トークなどのフリートークブログ。https://www.youtube.com/channel/UCBsUkMU0ujamCl0t1OVQLpQ

実家…

今週のお題「わたしの実家」

 

実家は、1度引越をしている。

ここでは、私が11歳まで過ごした実家について書こうと思う。

 

その家は、貸家だったと思う。

築年は私が記憶があるうちでもとても古く、想像するに昭和2-30年代の家だったと思う。

灰色に変色した板塀の外壁で、サイディングやトタンでもなかった。

駐車場もなく、風呂もなかったんだと思う。

何故風呂がなかったかというと、近所に銭湯があったからだ。しかしながら、私が物心つく前に廃業したらしく、幼い記憶では我が家の近所の家はみんな、庭に離れの浴室を持っていた。我が家は建物内に浴室があったが、完全に台所を潰した間取だった。

 

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たぶんこんな間取

1 台所の床板の節穴

台所の入口に洗濯機と冷蔵庫があり、そこで脱衣をして風呂に入っていた。

そこを通らないと台所に行けないし、そこを通ってつくったゴハンをお盆に乗せて茶の間のこたつに運んで食事をしていた。

 

この、ちょうど脱衣する床板に、直径2cmぐらいの節穴が空いていた。

その上をしょっちゅう通るので、よくその穴に物を落としがちだった。

 

始めに落としたのは箸だった。おぼんから転がり落ちた箸がホールインワンよろしくスポッとその穴に落ちた。私は保育園児ぐらいだったと思う。泣いた。

次に記憶があるのは歯ブラシだ。

歯ブラシはさすがにねじ込まないと落ちないが、好奇心旺盛な子供だった弟が歯ブラシを穴に突っ込んでニコニコしていた。弟が満面の笑みで手を離すと、黄色い歯ブラシは穴に吸い込まれて行った。私は青くなった。

お箸の一件は過失であるが、この場合の歯ブラシは明らかに故意である。

善意無重過失とか錯誤している場合ではない。お母さんに怒られるのは監督不行き届きを働いた私なのだ。

「おかーさーんxxxが歯ブラシ穴に入れたー!!」

私は無罪を主張した。この顛末は覚えていないが、この事件自体を弟は覚えていないだろう。ちょうど40年程前の話だ、無理に思い出せとは言わない。

ただ、弟の性格があまり変わっていない(姉が困ることを好奇心だけの理由で行う)ことについては、この場ではそれだけの報告に留めておく。

 

2 階段下の壁の穴

床板の節穴に続く穴事件は、もう一つある。

一度、何が原因か忘れたが非常に腹が立ったことがあり、泣き叫びながら廊下の壁を蹴った。

すると、幼い私のかかとが、すぽっと、壁に入ってしまった。

穴が開いた。

直径6~7cmの穴が、階段下の廊下の壁に開いてしまった。

私は焦った。

咄嗟に、近くにあった新聞の束からスーパーの広告を見つけ、セロハンテープで壁に貼り付けた。お店屋さんごっこ~などと独り言ちながら。

ちなみに当時の私はそこまで幼くはなかったが、私のごまかしの歌は誰も見ていなかったらしく、しばらくバレずに済んだ。

ある日、母がその広告をはがしたらしい。大きな声がした。「なにこれ!!」と。

私は素直に謝り、母は笑って許してくれたかどうかは忘れたが、そこまで怒られなかったと思う。なんせ、そんな経緯なので、何が引き金で怒りを壁にぶつけたのかは覚えていないのだ。ただ、物理的に穴は開いた。

しばらくして、その穴にはきれいな模様の紙が貼られるようになった。

 

3 勉強部屋から見るアニメ

2階は、勉強部屋になっていた。

宿題と家庭学習をまじめに行うよいこだった私だが、アニメを見たくてたまらなかった。キン肉マンとか。

ある日、英語の通信教育か何かのためにラジカセを買ってもらった。

それに、テレビの音声だけを受信できる機能があったのだ。

勉強部屋から、隣の家のテレビが見えた。音は聞こえなかった。

小学生は本当にしょーもないことを考える。

隣の家の2つ上のお兄ちゃんが見ているキン肉マンのアニメを、音だけ手元のラジカセで聞いて、画面は目を凝らしてみていたのだ。今なら法的にどうかとか思いそうである。実際、隣家の1つ上のおねえちゃんにはブチキレられた。

本当に幼少期にアニメや漫画を制限してはいけない。しかるべき年齢に対応した娯楽を体験しないと、大きくなってからそれを補完しようとして余計のめりこんでしまう。

あ、でもゲームはずっと好きだったかな。てへ。

 

4 引っ越した後

中学に上がる前にこの家は引っ越してしまった。

たまに懐かしいと思うも、大人になるまでその幼い日々を過ごした地区には行くことはなかった。

大人になり車の免許を取り、久しぶりに元実家があった地区へ行ってみた。車で10分程度の場所だが、自分が住んでいない住宅密集地には用事がない限り行かないだろう。

子供の頃、凍結した道路を自転車のおじいさんが下まで滑り落ちた坂道は、初心者マークの乗用車にはものすごく狭い道路で驚いた。何と、車と車がすれ違えないのである。

坂を上り、左折して、元の家に向かった。とにかく狭かった。どうやっても車とはすれ違えなかった。子供だったから、あの道路はすごく広く坂も急に感じたけど、坂は記憶通り急だったけれど、道路はとんでもなく狭かった。

ちょうど成長期で、引越した直後にぐんぐん背が伸びたせいもあり、何もかも小さく感じた。頭では分かっているが、幼い頃に遊んだ街並みが縮んだようでショックだった。

 

その地区には二度と行っていない。

 

幼い自分の思い出の地には、変わらず彼らがそのまま住んでいるのだ。みんなそこで大人になり、そこで年老いているのだ。出ていってしまった私の、小さな街並みだったという気持ちは悟られてはならない。

 

そんなこと、誰も何も気にしないのに。