私は一応会社員である。
他の会社員をやっている人よりは自由にやっていると思うが、会社員である以上、少なくとも会社の営業に従事しなければならない。半分家族経営の小さな零細企業だ。
若い頃は小説家になりたくて、いろんなことをしてみた。ただ、あの頃、どうすれば小説家になれるか分からず、小さな田舎でポツポツと同人誌を作っていた。
当時の同人誌はマンガやアニメの二次制作の意味合いが強く、オタクという言葉が否定的に広がり始めた時代だった。ご多分に漏れず、私はその類だった。
田舎だったから、どういう風にアプローチすれば小説を書けるかわからなかった。文章を書くのは好きだったが、物語を書き続ける方法が分からなかった。
ポツポツと小説を書いていると、ある日、その道具であるワープロが壊れた。
高校生の頃に親にお願いして買ってもらった東芝のルポだった。小説も学級新聞も同人誌の文字も何でも打ってきた、フォントの癖も印刷のズレも知り尽くした相棒だった。たった数年で壊れてしまい、当時の私は絶望した。
あの頃、小説家とは小説を書いていて、何かの大賞に応募すればなれると思っていた。
でも、高校生を卒業し専門学校を卒業し社会人になっても、地味に描き続けていたオリジナル小説は完成しなかった。
二次制作の方にかまけていたからだ。
そして、ワープロに愛想を尽かされた。
当時の私の収入では、そうやすやすと新しいワープロを買うことは出来なかった。機械がダメなら紙にでも書き続ける事は出来た。
しかし、そこへ母から1本の電話がかかってきて、私は仕事を辞め、実家へ戻り、親の会社に入ることになった。
しばらくして、とある病に倒れ、私は、小説家の夢を諦めたんだと思う。
同人誌はその後も何年か続けたが、オリジナル作品は書かなくなっていた。
そのまま、高校の時の部活である吹奏楽部のつながりでビッグバンドに入り、30歳で脱退。自分で吹奏楽団を立ち上げた。
小説家というフリーランスに憧れたこともあったが、今、地元でラッパを吹いているのが、身の丈に合った人生楽しみ方かなと思っている。
あの頃、毎日文章を書いていた経験は、こんな時に文章を書くのに役に立っている。
人生、ムダはないのだ。
という着地点でこの文章を終わろうと思う🤣
一気に書いた。昔取った杵柄。
杵柄になってるかは不明である。
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