しばらくぶりにブログを書いてみたら、感想やいいねがついたので気を良くして今日も描いてみる。
これでモチベーションが上がるというのは、至極単純である。
やり続ける事にも意味がある。
本当は新たな資格試験勉強もしたい。やれよ。
電子レンジである。
流石に学生時代にも、電子レンジは一人暮らしにはあって然るべきの家電だった。
しかし、昭和生まれの私が高校を卒業して家を出る頃、さまざまな家電を用意してくれた祖母は明治生まれであり、両親も戦中生まれであった。
比較的ハイカラだった祖母は、自分が昼食に食パンを焼いて食べるという理由から、やたらと機能が豊富なオーブントースターを買ってくれた。
おばあちゃんありがとう、仙台でも頑張ります、などと殊勝な事を言って故郷を離れたが、本音では電子レンジが欲しかった。
何せ、自宅では、祖母は牛乳を温めるのに普通に電子レンジを使っていたのだ。時折溢れさせながらも。
仙台に着いた荷物には、白くてかわいいミルクパンが入っていた。私には牛乳は鍋で沸かして飲めという事だったらしい。
そんな訳で、人生の前半期ピークにした一人暮らしでは、電子レンジは持っていなかった。
買ってもよかったのかもしれないが、まあなくてもどうにかなった。
1度だけ欲しいなと思ったのは、とある人物からお土産として買って来たパウチされた明石焼きを「電子レンジでチンして食べてね」と渡された時である。
仕方なくパウチごと湯煎して食べた。明石焼きを見るたびに思い出して惨めな気持ちになる。
時は流れ震災後、私はちょっとした出来心で一人暮らしを始めた。
いま考えると、あの時一人暮らしに費やした費用があればいい車が買えたかもしれないが、時間と環境を買ったのだと言い聞かせている。
ちなみに私は基本的にケチである。
一人暮らしになるにあたり、家電を買いに近くのケーズデンキの初売りに出かけた。
契約は2月1日からであった。よく覚えている。寒かった。
自宅では洗濯機はずっと洗濯乾燥機であり、とても便利だった。しかし、この時はケチって全自動洗濯機を買った。
どうせ一人暮らしである、時々洗濯して、部屋干しをすれば加湿器代わりになると思っていた。
冷蔵庫も手頃な2ドアを選択。特にこだわりはなかった。
思えば、学生時代は、初めは寮だったので大型家電類は一切なかった。相部屋の子が冷蔵庫はレンタルしていたし、洗濯機はコインランドリーが付いていた。
2年生の時に寮を出て一人暮らしを始めたアパートにも、コインランドリーと冷蔵庫が付いていた。
自力で買うのは洗濯機も冷蔵庫も初めてだった。だが、特にこだわりなく決めてしまった。
電子レンジは、オーブンレンジを買った。
その頃、というか、子どもの頃から、私は菓子を作るのが趣味だった。
仕事の付き合い上、自宅の家電は全てパナソニック製だった。家電が壊れた時、電気屋さんへ電話をすると、新製品をサクッと運んで来てくれる、そういう家だった。
先述の通り、私はケチである。
冷蔵庫と洗濯機は人生初のパナソニックじゃない家電を買った(多分)。
電子レンジも、ずらりと並ぶ現品からどれが1番お得か、1番時間をかけて探した。
やがて引越しの2月1日。
部屋で待機していると、ケーズデンキから大きな荷物が3つ届いた。
冷蔵庫と洗濯機と電子レンジである。
そそくさとセッティングを済まし、レンジの扉を開閉してみる。
ついに、20年越しの夢だった、自分専用電子レンジである。
日立製だった思う(多分)。
電子レンジは便利だった。
一人暮らしで面倒くさい食事の準備に、買い置きの冷凍食品を解凍するのに便利だった。
もちろんお菓子も焼いた。
オーブン機能は、焼き菓子みたいな繊細なものは、焼き加減がオーブンによって違ったりするので、何度か焼いて加減を覚えた。
牛乳をチンしても溢れない温度調整が出来る機能があった。
トースト機能だけは、やはり本物のトースターの方が良かった。
数年後、自宅に戻る事になった。
冷蔵庫は会社で使う事になり、会社へ運んだ。
洗濯機と電子レンジは友人たちにそれぞれあげた。
今でも活躍しているかは分からないが、思い出として心の中に残っている。
しかし、時折思い出すのだ。
あの明石焼きはレンジで温めて食べたかった、と。