アヤノっちの田舎暮らしBlog

田舎で暮らすアヤノっちの琴線に触れたガジェット、小物、お題トークなどのフリートークブログ。https://www.youtube.com/channel/UCBsUkMU0ujamCl0t1OVQLpQ

「そうめんなら食べられる」の不思議

今週のお題「そうめん」

 

基本的に夏バテなどで食欲が落ちないデブである。

 

ただ、そんな私でも、お昼を軽く済ませたいときや、夕ご飯に熱いものを食べたくないことがある。

夏場に辛い麻婆豆腐を提案された時などは軽く暴れたい気持ちになる。

 

そんなときにはそうめんだ。

そうめんをゆでるときには大鍋に熱湯を沸かさなければならないのだが、その後に味わえる清涼感を求めて、夏の日曜日のお昼の定番だ。

それから、何故か、いただきものでそうめんがたくさん集まることもある。

乾物なので、少々賞味期限が過ぎても大丈夫なんだろうが、さすがに年単位で過ぎているものは遠慮したい。

そのぐらい、そうめんは押入れのどこかに常駐している。

 

そうめんをゆでる。

しかしなぜ、人は、そうめんをゆで始めてから、そうめんを入れるガラスのどんぶりが欠けているのを思い出したり、そうめんを食卓に出す大きな皿が戸棚の一番下の段の大皿をいっぱい重ねた一番下にあるのに気付いたり、冷やすための氷を出そうと冷凍庫を開けたら氷が3個しかないことに気付いたり、めんつゆがちょっとしか残っていないことに気付いたり、薬味という薬味のチューブがぺったんこになっていることに気付くのだろう。

 

そんなかんじで育ってきた。まあ、多少は問題ない。

 

問題は、母親という生き物は、そうめんもパスタも、100gぐらいが1人前だということを分かっていないことだ。

パスタの話は置いておこう。

そうめんを2袋ゆでる。その前に1袋は何グラムなのかよく見てほしい。

明らかに多い。

でも、不思議なことに、食べられてしまう。

食べることが出来てしまう。

何故だ。

 

多分、のどごしなのだ。

のどごしが良いから、するすると入ってしまうのである。

まるでビールである。

 

でもビールは液体でアルコール、そうめんは麺類で炭水化物である。

胃袋の仕事は少々違ってくる。

苦しいのだ。

 

でも、のどごしだけで食べものは食べられる。

喉は、胃のことなんて考えていない。食道に食物が詰まらなければいいのだ。

つるつるとした麺類のそうめんは、どんどん胃袋に入っていく。胃袋は、滝のように流れ込んでくるそうめんにへきえきしてることもあるだろう。脳に「もうおなかいっぱい」と指令を出しているのかもしれない。

でも、のどごしだけで食べ物は食べられるのだ。

 

コンビニで売っているパサついたそうめんを食べたことがあるだろうか。

戻し水とやらをかけないと、1つの塊になってしまっているコンビニそうめん。

ゆっくり食べればおいしいのかもしれない。

令和のコンビニ飯と、平成初期に食べたコンビニの冷やし中華を比べてはいけない。

そう、学生時代に食べたコンビニの冷やし中華は、本当に伸びていて本当にぱさぱさで本当にまずかった。具が載っている冷やし中華はかろうじて商品化されたのであろうが、麺とつゆだけしかないそうめんなんてあの頃は無理だった。

あの頃よりは技術は進化したからといって、戻し水をかけたコンビニそうめんには、ゆでたてのみずみずしさはない。まだない。今年からあったら申し訳ない。

 

とにかく、私は、お昼に、コンビニのそうめんが詰まってなかなか食道を下がっていかなくて、上からお茶だの水だのを飲みまくって、それがおなかで麺が水を吸って増えて、ひどい目にあったのを忘れられない。

 

が、自分でゆでたそうめんは、そんなことはない。

しかし、のどごしが良くてするするたべられて、結果おなかが苦しくなるのである。

どっちにしろそうめんは、胃が膨れるのだ。

 

そんな食べ方もそろそろ卒業したい。

時々ピンクや緑の麺が入り、繊細に盛られた1人前を、自分のペースで食べる。

そろそろ、そういう年になってもいいのかなと思いつつ、食卓の真ん中にどんと出された大きなガラスの器に盛られたそうめんを、我先にとかっ込む夏が、またやってくるのだろう。