はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
近年だと、平成23年3月11日だろう。言わずもがな、東日本大震災の日だ。
でも正確には、次の日ぐらいが一番いろんなものを目の当たりにした。
平成23年3月12日は、土曜日だった。
繁忙期の土曜日には仕事がたくさん入っていた。
それどころじゃなくなった。
3月は一生繁忙期だと思っていたので、3月にその辺を散策する日が来るとは思わなかった、とか思っていた。
どさくさに紛れて大なり小なりの犯罪が可能ではないかと思った。
泥まみれのタバコ1カートンや、ポテトチップスの袋を拾ったという話は、かわいい方だと思う。私は拾っていないけれど。
その前は、平成15年9月9日。
父親の命日。
実はこの日に当時付き合っていた人に振られた(笑)
父親が危篤である旨をメールしたところ、その返信で振られたのだ。
今考えても実にひどい男だと思う(笑)
もう笑い話だが、当時は相当恨んだものだった。
その前は平成9年2月3日。
祖母の命日だ。命日ばっかりだな。
その前の前の日、2月1日。
仙台から引き上げて来て入院していた祖母の元へすぐさま向かった。
「ばあちゃん、帰って来たからね」というと、
ずっと意識朦朧としていた祖母はスッと目を開けて
「父さんを助けて、仕事するんだぞ」とはっきりと言った。
それが遺言になり、2月3日、祖母は旅立った。
そして、未だにその仕事を続けている。
父はそれからたった6年で祖母のところに行ってしまった。
思ったより早かったと祖母は思っているだろう。
この経験から「年寄りは、安心すると死ぬ」という知見を得た。
その前は何だろう。
平成3年7月…だったと思う。
初めての吹奏楽コンクールだ。
私はユーフォニアムを吹いていた。
そして、左足を骨折していた(笑)
右手に楽器を、左手に松葉杖をついて舞台に向かったのを覚えている。
曲はコーラルブルー(課題曲)とカルメン(自由曲)だった。
初めての大会は結構頑張ったが、自由曲はほとんど吹けていなかったと思う。
結果はいわゆるダメ金(金賞だけど県大会に進めないやつ)で、泣きながらレンガの外壁が印象的な宮古市民文化会館を後にした。
大人になって、またこのレンガの外壁のホールに時折訪れ、舞台に乗ることになるとも思わなかった(笑)
レンガの壁の前に立つまだ20代だったコーチ達が、バスに乗る私たちに手を振る姿が、目に焼き付いている一番の光景かもしれない。
よっぽど悔しかったんだろうな。
次の年、よし銀(銀賞だけど県大会に進めるやつ)で県大会に行けたとき、去年の方が上手かったのになと複雑な気持ちになったのはよく覚えている。
その前は昭和59年6月16日(調べた)
大人気テレビ番組「8時だよ!全員集合」の停電事件だ。
ぐぐればいくらでも当時の情報が出てくる(原因は、会場に入れなかったファン?がコンセント抜いたかブレーカー落としたか、人為的なものだったらしい)が、当時これをリアルタイムで見ていた。
という話をたまたま後輩としていたら、なんとその日はその後輩が生まれた日だったそうで、びっくりしたのだった。そんな偶然もあるもんだ。
「8時9分半だよ、全員集合!」と言ったいかりや長介は幼心によく覚えている。
などと昭和まで遡ってしまった。
私も長く生きて来たな(笑)